江戸の町も町人の活動が活発になり、文化の中心も上方から江戸に移ってきました。都市生活の多様化で、文化の内容も多種多様のものとなっていきました。通俗的となり、退廃・低俗化の動きもありますが、町人を中心とした文化は都市庶民の間に広がり、さらに農村へも普及していきました。
町人の風俗を描いた浮世絵がさかんになり、木版技術の進歩で、版画として優れたものが生まれました。18世紀半ばに鈴木春信は錦絵と呼ばれる色刷版画(1760年、水辺款冬)を創始しました。喜多川歌麿は美人画(1806年、高島おひさ)を多く描き、東洲斎写楽は役者絵や相撲絵(1794年、中島和右衛門と中村批藤)を多く描き民衆に喜ばれました。葛飾北斎(富巌三十六景)と安藤広重(東海道五十三次)は風景版画を発表しました。
文学では十返舎一九(東海道中膝栗毛)、滝沢馬琴(南総里見八犬伝)が有名です。俳諧では、与謝蕪村、小林一茶が有名です。柄井川柳の川柳や、蜀山人の狂歌も盛んになりますが、中には政治を批判したり、支配者に皮肉を浴びせたりするものも少なくありませんでした。
色絵葵紋入菊文茶壷 (1860-80)
百老図 岸駒筆 1802
踊楽絵巻 1816
舞楽面 蘭陵王 1800
能面 泣増女 猩々(1800)
印籠 1800
パイプ 1850 根付(1800)
ケンペルの日本の歴史
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